ANA国内線【PR】

Art, Cusine, Travelなどの日記
by artycrafty
XML | ATOM

skin by excite
カテゴリ:Book
  • 専門家の立場から言わせて頂くと
    [ 2007-01-16 21:49 ]
  • これは王国のかぎ
    [ 2006-09-30 19:26 ]
  • バルタザールの遍歴
    [ 2006-03-07 01:21 ]
  • ナルニア国物語
    [ 2006-03-03 21:21 ]
  • 紙葉の家
    [ 2005-10-10 15:59 ]
専門家の立場から言わせて頂くと


「患者が決めた!いい病院ランキング」2007年度版
 オリコン・エンタテイメント社 1680円

 いろいろな疾患別に20万人の患者アンケートから病院をランキングした本だ。結構売れているらしい。
 この手の本を読んでよく分かることは「患者が良い病院を決めることははなはだ難しい」ということだ。専門家の立場から言わせて頂くと「どうしてこの順位なの???」という部分が少なくない。
 確かに名前が挙がっている病院はどれも悪くはないと思う。しかしその順位が妥当かどうかはあやしい。そしてもっと重要なことは、名前が挙がっていない病院でも素晴らしい病院があるという点だ。
 つまり「載っている病院が悪くないという目安にはなるが、載っていない病院が良くないという目安にはならない」ということだ。これはとくに強調しておきたい。
(私は上位に載っちゃっていますが、それはそれで正しいとしてw)
by artycrafty | 2007-01-16 21:49 | Book
これは王国のかぎ
これは王国のかぎ 荻原規子 理論社

 この小説の主人公は15歳の女子中学生。彼女が失恋を機にファンタジーの世界に入り込み魔神となって活躍するというストーリー。世代的に私に縁があるとは思えないこの物語を読む切っ掛けとなったのは、仕事帰りの車の中でたまたま聞いたNHK-FMの「青春アドベンチャー」というラジオ番組の一コマだった(それ自体世代的におかしいとか言わない!)。それが2000年のころ。感動して本屋に行きすぐに購入しそのまま6年間卓上を飾った。図らずもその間私はハリーだのナルニアだのゲドだのといったファンタジー小説を沢山読むことになった。

 荻原規子は日本のファンタジー作家として有名な方らしい。彼女がこの物語を書くヒントになったのは、マザー・グースの「これはおうこくのかぎ」で始まる歌と、コンサートで聞いたリムスキー・コルサコフの「シェエラザード」であるようだ。彼女はこの不思議な歌の「おうこく」をアラビアンナイトの世界と想像して物語を膨らませた。

 ファンタジー小説では物語の舞台をどこに置くかという点でさまざまなアイデアが見られる。ハリーポッターの活躍する舞台は現代であり、人間社会と平行して存在する魔法社会であり、随所で人間社会との接点が見られ影響し合う。ナルニア国物語では人間社会とは別次元にある世界が舞台で、その世界とは箪笥の奥や、壁に掛けられた絵などで繋がっている。しかし双方の出来事はともに現実であり双方での人間の生死が影響し合う。ゲド戦記は地球とは接点のない世界であり地球との関連は全く見られない。

「これは王国のかぎ」もまたこの点に大いに特徴がありそれは最後のお楽しみでもあるのでここでは書かない。物語の文字通り「かぎ」もそこで明かされる。

 ま、そんな構造的な事はさておき、物語自体素直に楽しめるものとなっている。全能である魔神の不自由さなど奇抜な発想が楽しい。3時間ほどで読めてしまえるので映画を見るような気分で読まれるといい。中学生の淡い恋心など古き良き少女漫画的な描写にはさすがに恥ずかしいものがあるが、それもまた中年を過ぎた身にはファンタジーだと言えなくもない。
 
by artycrafty | 2006-09-30 19:26 | Book
バルタザールの遍歴
 第二次世界大戦前のウィーンで貴族として生まれた「私たち」によって語りはじめられる物語。主人公は一つの体を共有する「メルヒオール」と「バルタザール」という双子。シャム双生児でも二重人格でもない。非物質的実体としての二人が物質的実体としての一つの肉体に宿っている。二重人格ではないので二人は会話をしなければお互いの考えが分からないほど独立した存在である。このオリジナリティ溢れるキャラクターによって物語は否が上にも独創的となる。さらにナチスの足音と共に不穏になってゆく社会情勢、没落していく貴族の退廃と耽美を緻密に描くことによって、まるで海外小説の邦訳を読んでいるような気分にさせる。

 格調高い文体、聞き慣れない外国人名等によって前半は読み進めるのに苦労するだろう。しかし後半に行くに従って物語は躍動的な冒険小説に変貌していく。そして実はこの小説は重厚な衣を纏った漫画であるということに気が付く。格式あるオペラハウスで演じられるモダンなエンターテイメントと同じく、漫画であることは劣ってることを意味しない。楽しく読めることは小説の美徳である。

 だが度が過ぎたサービス精神が気になる部分もある。例えば後半の重要人物にナチスのSS将校エックハルトとその部下ハンスとグスタフが出てくるが、ちびでハンサムな金髪で残酷だが臆病な親分と力持ちだが間が抜けている子分という図式はハリーポッターで言うところのドラコ・マルフォイに対するクラップとゴイルに同じだ(尤も制作年から考えて真似をしたとすればJ.K.ローリングの方だが)。また退廃的な話の筈なのにむしろ爽やかな気分で読めてしまうのは、リアルな不条理感を欠いたご都合の良いストーリー展開のせいだ。だからこそむしろ第3回日本ファンタジーノベル大賞に相応しい。これは思想や哲学を伝える小説ではない。純粋に楽しむために読むエンターテイメントなのだから。
by artycrafty | 2006-03-07 01:21 | Book
ナルニア国物語
 映画が3月4日全国ロードショーとなるわけですが「ナルニア国物語」について書きたいと思いつつ今日に至ってしまいました。上映前に書かないとなんだか恥ずかしいので。

ナルニア国物語は1950年の第一巻「ライオンと魔女(THE LION, THE WITCH, AND THE WARDROBE)」からはじまり「カスピアン王子のつのぶえ」「朝びらき丸東の海へ」「銀のいす」「馬と少年」「魔術師のおい」「さいごの戦い」と続く全七巻のファンタジーです。「さいごの戦い」は1956年のカーネギー賞(イギリスの年間最優秀児童文学賞)を受賞し、「馬と少年」は1954年の同賞ノミネートとなっています。

作者はC.S.Lewisというイギリス・オックスフォード大学の英文学教授です。ルイスは庶民的で活動的なクリスチャンでもあり多くのキリスト教関係の著作やラジオ出演で有名でした。同時期のオックスフォード大学には「指輪物語」を書いたトールキンも教授として在職しておりルイスはナルニア国物語を書くにあたり指輪物語に影響されたと言われています。

そういうわけですから物語は一貫してルイスのキリスト教的世界観で描かれています。しかしファンタジーの枠内に違和感なく収まっているため、散りばめられた象徴は分かる人には分かるといった程度の味付けに抑えられており、宗教を意識することなく読み進めることができます(例えば全巻を通して最も重要なキャラクターであるライオンの「アスラン」はイエスキリストです)。またルイスの世界観は楽観的なものなので、悲しい話であるはずの「さいごの戦い」に於いてすら明るい雰囲気に包まれています。全巻を貫く明るい雰囲気は児童書に相応しいものとなっています。

私の持っている岩波少年文庫版には小学上級以上対象と書かれています。しかし残念ながら私がこの本を買ったのは10年ほど前の事であり、全巻を読み終えたのは昨年のことです(たまたま映画化される時期と重なったのは私にとっては面白い偶然です)。残念ながらというのはやはり小学上級の頃に読めば、ナルニアの光景がもっといきいきと脳裏に焼き付いていただろうにと思うからです。

私が一番好きな話は第三巻の「朝びらき丸東の海へ」です。この話でのルイスの自由奔放な想像力の飛躍は気持ちのいいほどです。まだ見ぬ海の果てに進むにつれて展開される驚くべき光景の数々。脳裏にいきいきと焼き付くこと請け合いです。もちろん他の話でもルイスの想像力は遺憾なく発揮されており、それぞれに楽しい話になっています。自分のお子さんや知り合いのお子さんに(映画を見た後でも結構ですから)ナルニア国物語を是非薦めてあげてください。読みやすい文体なので気にいれば1日1冊、1週間で読めてしまうでしょう。
by artycrafty | 2006-03-03 21:21 | Book
紙葉の家
Mark Z. Danielewski (著) 嶋田 洋一 (訳) ソニーマガジンズ 4830円 2002年12月20日初版

 とんでもない本である。800ページ、4830円。とんでもないのはそのボリュームと値段だけではない。
 装丁は美しい。カバーデザインもいい。黒い背景にタイトルの家という文字だけが藤色になっている。ずっしりとした持ち応え。帯にはこうある。「この紙葉をめくる者すべての希望を捨てよ。」うーん、なんて挑戦的な脅迫的な文言であろう。ちょっとびびる。カバーをはずしてみても装丁の美しさは損なわれない。極彩色の証拠物件の数々、裏表紙には問題の家のポラロイド写真。
 家という文字が藤色になっているのは表紙だけではない。本文にある全ての家という文字が藤色になっている。つまり豪華2色刷である。ページをめくると早々にこの本の仕様についての説明があるがここからすでにフィクションは始まっている。現実と空想の境界をなくそうとする心憎い演出である。
「これはあんた向きじゃない。」という言葉で序文が始まる。そして「運がよければあんたはこの労作を忘れちまうかもしれない(中略)そうはならない可能性がかなりある(中略)読み終えてしばらくは何事もない(中略)そして悪夢が始まる」かなり怖そうだ。読むの止めようかと思いつつも読みすすめると、物語の盛り上がりとともに、文字が消えたり、飛んだり、回ったり、時には本を逆さまにしなければならなくなる。
 この物語はある無限の闇の構造を持つ家とその家にかかわるネイヴィットソン一家のビデオテープによる記録、それに註釈を付けて解説するザンパノという名の老人の書いた「ネイヴィットソン記録」、それにまた註釈を付けて解説するトルーアントという名の作者の記録とそのトルーアント自身の物語によって構成されている。さらにビデオ記録にまつわる証拠、ザンパノの詩や家のスケッチなどの付属書、トルーアントの母の手紙などが収められている。つまり3重以上の構造を持ったメタフィクションである。
 紙葉の家(House of Leaves)とはどういう意味か。これはなかなか難しい。物語も終わりにさしかかったころ「紙葉の家」という題の本のページをネイヴィットソンが一枚ずつめくって燃やしていくシーンが出てくる。ネイヴィットソンが燃やしているシーンについて書かれた「紙葉の家」をネイヴィットソンが燃やしているということになる。これはメタであり本書の構造を示している。
 またLeaveには葉という意味の他に「人のもとを離れる」という意味もある。孤独なままに死んでゆくザンパノ老人の物語、その老人の書いた物語に出会って狂気に落ちてゆくトルーアントの物語、トルーアントと離れ精神病院で死んでゆく母の物語、そして夫婦の心が離れてゆく(そして回復する)ネイヴィットソンの物語のいずれもが、まさに人間の離別という問題を扱っている。
 外側から測った大きさよりも内側から測った大きさの方が大きい家。扉の向こうに無限の闇の部屋を持つ家。地獄に通じているような家という設定はホラーSFの古典「異次元を覗く家」を連想させられる。そしてその迷宮を探検する様子を映したビデオ。これなどは映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」である。たしかにホラー小説という体裁をしている。だが底辺にあるテーマは家族や親友との別離であり、それこそがこの小説の多重構造の骨格となっているのだ。
by artycrafty | 2005-10-10 15:59 | Book